Acoustic Guitar World 仮想インタビュー

Acoustic Guitar World アコースティックギターワールド(通称アコワド)に突然インタビューを申し込まれた場合でも、慌てず答えられるように準備しておくためにこの文書は作成されました。

ギタリストインタビュー 〜 Noriya

えーっと、いったいどうしておっさんアマチュアギタリストのインタビューをしなければならないのかが甚だ疑問ですが、そこは敢えてスルーして、とりあえずNoriyaさんにこれまでの音楽歴・ギター歴や今後の展望(あるのか?)などについて話していただきました。

最初に買ったレコードは天地真理

音楽に興味を持つようになったきっかけは何だったんでしょうか?
テレビで流れていた歌謡曲ですね。生まれて初めて買ったレコードは天地真理さんのシングル「ひとりじゃないの」です。小学3年生だったかな? 石橋正次さんの「夜明けの停車場」も欲しかったけど、真理ちゃんに軍配が上がりました。記憶にある当時の歌番組は「ベスト30歌謡曲」。森田健作さんが司会をしていたと思います。
天地真理さんや石橋正次さん以外で好きだった歌手は?
ぶっちぎりフィンガー5ですね。地元にあったレコード屋さんに最初はセカンドシングル「恋のダイヤル6700」を買いに行ったんですけど、売り切れだったので仕方なくデビューシングル「個人授業」を買いました。その後サードシングル「学園天国」も買いましたが、結局「恋のダイヤル6700」は買えずじまいでした。悔しかったです(笑)
フィンガー5はライブも見に行きました。さやま遊園地(現在の大阪狭山市)っていうところが近くにあって、そこにフィンガー5が来ることになったんです。これは絶対行かなきゃ!妙子ちゃんに会える!みたいなノリで近所の同級生達と一緒に行ったのですが、もの凄い人でした。超満員。で、危ないのでライブ会場にはスタッフが少しずつ入場させていたのですが、僕らの5列くらい前で入場ストップになってしまい結局見られませんでした。悔しかったです(笑)
翌日、会場に入れた他の友人達が自慢げに話してるのを見て更に落ち込みました。なぜもっと早く行かなかったんだろうって。その友人達が、「たえこ〜〜!」って叫んだらニコッと笑って手を振ってくれた、とか話してるわけですよ。殴ったろかなと思いましたね(笑)
小学校時代は歌謡曲しか知らなかったですね。

KISSの音楽とルックス

中学生になってからはどんな音楽を聴いていましたか?
実は僕は中学校入学と同時に卓球部に入りました。2年生の先輩達がメチャクチャ強くて僕が入部した時には3年生が一人もいないという状態でした。その2年生の先輩達はすごく親切で丁寧に教えてくれたので、中1の時は卓球三昧でした。先生は鬼みたいに厳しい人でしたけど(笑)。音楽は全く聴いてなかったですね。
2年生になった時に仲良くなった友達の家に遊びに行ったら、変な4人の漫画が書いてあるレコードジャケットがあって、そのレコードを貸してくれたんです、カッコいいから聴いてみって。ふ〜ん…と思いながら借りて家で聴きました。それがKISSの「Destroyer(地獄の軍団)」だったんです。最初はよくわからなかったけど、聴いてるうちに「なんかカッコええな!」って思うようになってカセットテープに録音させてもらって毎日聴いてました。1曲目の「Detroit Rock City」のインパクトは凄かったですね。
いきなりKISSですか(笑) 違和感はなかったですか?
音楽をほとんど知らないし、KISSがどういう立ち位置にいるのかもわからず、純粋に音楽だけを聴いてましたから違和感はなかったです。カセットテープに録音してすぐレコードを返したので、KISSってどんな人たちかルックスとかもよくわからないまま聴いてました。本屋に立ち寄った時に音楽雑誌を見に行ったらやたら顔に化粧をしたやつらが表紙を飾ってて、「変なやつらやなー。こんなやつらが音楽やってるんか。最悪ー」って思ってたんですけど。
それで、中学2年から3年になる春休みだったと思うんですけど、NHKのヤング・ミュージック・ショーでKISSの武道館ライブを放送したんです。友達の家で見ました。そしたらあの音楽雑誌の表紙の化粧したやつらが出てきたわけですよ。腰抜かしましたね(笑) 「KISSって、こ、こいつらなんか!」 青天の霹靂ってやつです。これはかぶりつきで見てました。エースのギターソロの部分は鮮明に覚えています。レスポールに火がついてボーッて燃え始めた時は、まるで花火を見ているような錯覚に陥りました。鮮烈でしたね。ジーンの血を吐くシーンは怖くて目を背けてたかも(笑)
でも彼らの音楽がもう大好きになっていたのでどんなルックスでも別に嫌いになったりはしなかったと思います。

ギターとの出会いは「22歳の別れ」

その頃にギターを弾くようになったのですか?
中学2年生の時に同級生でギター部のやつがいたんです。そいつがデュオで文化祭(うちの学校では確か文化活動発表会って名前でした)で風の「22歳の別れ」をやったんです。スリーフィンガーに合わせてあの有名なリードギターを弾いたんです。これにはビックリしました。心の底から凄いと思いました。その子はクラシックギターを習っていたようです。
当時実は家にギターが1本ありました。父が大昔に買ったもので、ガットギターなんだけど割りとボディが小さい感じのギターでした。弦高は12フレットで約1cmくらいだったと思います(笑) ギター弾きたい!って言ったら父がガット弦を買ってきて張ってくれました。そのギターでスリーフィンガーに明け暮れる日々でした。もちろん「22歳の別れ」です。ギター部の同級生に押さえるところを教えてもらって見よう見まねで弾いていました。本当はリードギターを弾きたかったので、その同級生の弾いているのを記憶をたどって耳コピして弾いていました。メチャクチャ間違ってたと思いますけど(笑)
KISSから入ったんだったらエレキには行かなかったんですか?
エレキギターっていう意味がよくわからないというか、ピンと来てなかったし、「22歳の別れ」のインパクトが強すぎたので当時は断然アコギ(アコースティック・ギター)志向でした。ただその頃、朝一緒に学校に行っていた枝ちゃんっていう同級生がいて、その子の家に遊びに行ったらエレキギター、ストラトキャスターのコピーモデルだったと思うんですけど、見せてもらったんですよ。その子のお兄ちゃんのギターらしかったんですけど、意味もなく「すんげぇ!」って連呼してたのを覚えています。生まれて初めて見たエレキギターだからそうなりますよね。
で、その枝ちゃんが突然Grecoのレスポールモデルを買ったんです。ブラウンサンバースト。「うわー!すげー!カッチョええー!」って思いましたね。枝ちゃんは音楽も沢山知ってて、KISS はもちろん、Deep Purple に Ritchie Blackmore、Zeppelin に Jimmy Page とか言ってるわけですよ。僕はポカーン?!って感じでした。でも枝ちゃんと話してるのが楽しかった。一時は彼の家に入り浸ってた記憶があります。枝ちゃんはギターも凄く上手かったし、僕もあんなふうに弾きたい!って思いました。枝ちゃんの影響は計り知れないですね。
その後割りとすぐに、枝ちゃんはYAMAKIのアコギも買いました。弾かせてもらったんですけど、すんごい良い音がしたんです。ジャキジャキって感じで高音が凄くきらびやかでした。YAMAKIってすげえなー、僕もYAMAKI買いたいー!ということで、この時点でアコギを買うことを心に誓いました。

My Guitar 購入

その頃に自分でもギターを買ったのですか?
どうしても自分のギターが欲しかったので、中2の7月からお小遣いを一切使わず貯金しました、12月まで。1ヶ月3,000円×6ヶ月=18,000円貯めました。そして翌年のお年玉が確か12,000円あったので、合計30,000円。アコギの一番安いやつは当時30,000円くらいだったのでこれで買える!ってことで冬休みのうちに買いに行きました。今は無き大阪・天王寺のアポロ三木楽器です。従兄弟のお兄ちゃんが付いて来てくれていろいろアドバイスしてくれました。僕的には「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」系男子だったので(笑)モーリスに決めていたのですが、従兄弟のお兄ちゃんが「Cat's Eyeがええぞ。Martin直系やから」みたいなことを言ってしきりにCat's Eyeを薦めてくるので、それに負けて結局Cat's Eyeを買いました(笑) CE-300ってモデルです。ハードケースと付属品込みでほぼ30,000円にしてもらえました。
買って帰ったら父が僕の部屋に来て、買ったギターを見せろと。で、弾いてくれました、「湯之町エレジー」と「影を慕いて」。この2曲しか弾けなかったのかもしれません。ただ父は、一文無しになった僕のことをわかってくれてたのか、「お金全然無いんやろ?」と言いながら3,000円くれました。この時のことは一生忘れません。欲しいものを自分でお金を貯めて買ったことを評価してくれたのかな?と後々になって思いました。
従兄弟のお兄ちゃんの影響とかもありましたか?
一度新築祝いかなんかで招待された時に、そーっとお兄ちゃんの部屋に近づいたらアコギの音がしてたんですよ。で、こんにちは!って勝手に入っていって(笑)僕もギター弾きたいんです!みたいな話から大いに音楽話で盛り上がって、その時聴かせてくれたのが Deep Purple のライブ盤「Live in Japan」。「Child in Time」を聴いた時は感動しましたね。最後の拍手が聞こえるまでスタジオ録音盤だと思ってましたから。それほど完成度が高いですよね、あの演奏は。
あと、ニール・ヤングの「Harvest」とかも聴かせてもらった記憶があります。シブいのーって思いました(笑)
アコギを手にしてからはフォーク系一辺倒だったのですか?
かぐや姫、風。正やん(伊勢正三さん)の弾くギターがとにかく好きでした。でもよく考えたら、あれ、石川鷹彦さんだったんですけどね(笑) 生まれて初めて買った30cmLPレコードは「かぐや姫ライブ」です。これは本当によく聴きました。ほとんどの曲を適当に合わせてギターで弾いていました。もう雰囲気だけで。だってギター知識がほとんどありませんでしたから。ここでも枝ちゃんに沢山教えてもらいましたね。彼はどんどん新しい技をマスターしていってました。コード進行とかハンマリング、プリング・オフとか。それを全部教えてもらってました。これはある意味本当にラッキーでした。
すぐ近くにギターの先生がいたんですね。
そうです。で、枝ちゃんはレスポールモデルも持ってるので、エレキも弾くわけです。ここで突如登場したのが Char さんです。ちょうど「逆光線」という曲がヒットしてきた頃で、YOUNG GUITARという雑誌にも楽譜が載ったりしてました。ピーター・フランプトンが表紙で、さだまさしさんの「雨やどり」の楽譜も同じ号に載ってました。枝ちゃんが突然「逆光線」のソロとか弾くわけですよ。5弦を12フレットくらいからスライドダウンしてブーンとか言わせるわけです。「僕も弾かせて弾かせて!」って僕もブーンブーンばかりやってました(笑) チョーキングとかも枝ちゃんは既にマスターしてて、キュイーン!とかやるわけです。もう痺れた。脳天唐竹割りですよ。
ほとんど毎日枝ちゃんの家に遊びに行って、スリーフィンガーやったり石川さんのリード弾いたり、ブーンとかキュイーンとかやってました(笑) 風の完コピとかもやりだして、「今日は俺が正やんで、お前が大久保な」とか言いながら一緒に弾いてました。この頃の集中力というかのめり込み方はちょっと異常でしたね。
エレキギターも買ったのですか?
いやいや、Cat's Eyeを買うのに全精力を使い果たしていたので、エレキはまだ買えなかったですね。ただ、エレキの弦を買ってきてCat's Eyeに張って、ラジカセについてたマイクをサウンドホールの中に入れて過大入力して歪ませて「エース・フレーリーごっこ」とかはやってました。「COLD GIN」とか弾いてたんですが、なかなか素晴らしいディストーション・サウンドだったと自負しています(笑)

「吟遊詩人の唄」の想い出

アコギでロックもフォークもやってた感じなんですか?
何でもCat's Eye1本でやってました。アコギでしばらくはKISSばっかり弾いてた時期もありましたね。
で、確か3年生になる前の春休みに、どういういきさつかは忘れたんですけど、地元の公民館でギター仲間同士が集まってライブを企画しました。近所には自宅にドラムがある高校生とかもいてバンド組んでたりしてて、そういう人達と僕ら中学生仲間でジョイントライブみたいな感じでした。実はその時僕は歌も歌ったんです。イルカの「なごり雪」。最初は弾き語りっぽい感じで始まってその後他の人も入ってくるみたいな演奏だったと思います。僕はほとんど弾けてませんでしたから。でも「Noriya、歌うまいなあ」って言ってくれる人がいてちょっと嬉しかったです。
KISS以外で好きなバンドはありましたか。
たまたまあるFM局で甲斐バンドの「サーカス&サーカス」っていうライブアルバムの特集番組があって、A面を丸ごとかけてくれて運よくエア・チェックできたんです。これにはハマりまくりましたね。特にレオ・セイヤーのカバー「吟遊詩人の唄」が大好きで、修学旅行の「歌のしおり」の最後にムリヤリ入れさせました(笑) 修学旅行は信州で、バスの移動が結構多かったのでこの「歌のしおり」が大活躍、最初から全部みんなで歌ったんです。で、最後に「吟遊詩人の唄」が出てきて、当然誰も知らないじゃないですか。「Noriya、お前が入れたんやからお前が歌えよ」って言われたので一人で歌い出しました。
で、ヤケのヤンパチで最後のフレーズ「そうさおいらは〜♪ 君を探し歩く〜♪ 愛を奏でながら〜♪ 街から街へと〜♪」を繰り返し延々歌いました。そしたらいつの間にか他の人も一人二人と歌い出して最後は全員で大合唱になったんです。するとそのバスを降りる時間もちょうど近づいてきてて、バスガイドさんが感極まって泣き出したんです。これはなんかジーンと来ましたね。

長渕剛 命

高校になってもロックもフォークもって感じだったんですか?
高校ではどういうわけか私立の進学校に入ってしまいまして、授業が難しくてついていけなくなりそうだったので、1年生の間はギターを封印していました。Cat's Eyeのハードケースに「根性!」と書いた紙を張っていました(笑) しかしながら耐えられるはずも無く、2年生になってからは普通に弾いていましたね。そして2年生の夏前に衝撃的なことが起こったんです。実は風邪をひいてメチャクチャな高熱が出て学校を1週間ほど休みました。勉強するのが嫌だったんでしょう。で、布団に入ってテレビを見ている時にとあるCMが流れてきました。
「南へ下るこの長い国道沿いを♪ アクセルふかしながら走ってゆく♪」 そして最後のナレーションが「長渕剛 LIVE」
長渕さんのあの有名なライブアルバムのCMでした。このCMを見た瞬間になんか体が凍りついたみたいになって、もうこのレコードは買うしかないんだ、って勝手に思い込んでいました。そしてお母ちゃんにその日のうちに無理言って買ってきてもらいました。それからはもうこのアルバムにのめり込みましたね。ギター、歌、MC、ハーモニカ、全部コピーしました。正に病気です(笑) その後の高校生活は長渕さん尽くしと言っても過言じゃないですね。「Heavy Gauge」くらいまではずっとアルバムを買ってました。でもやっぱり「長渕剛 LIVE」ですね。あれに尽きます。
コピーは基本耳コピでした。というかそれしかなかったんですけど(笑) でも確か「長渕剛 LIVE」は全曲集みたいなのが既に発売されていて入手して練習していたと思います。メッチャ間違ってましたけど(笑) 耳コピの大いなる助けになってくれました。
全曲ですか!その頃に人前で演奏したりとかは?
当時はライブをやったりとかの発想が全く無かったですね。そんなレベルにあるとは到底思えなかったし。ただのギターオタクです。2年生の時に仲良くなった友達Nくんの家によく遊びに行って「あの歌この歌1200曲」みたいな歌本を買ってきて「ギタオケ」と称してギターを抱えて歌いまくる、ということはよくやってました。無作為にバッと開いたページに載ってる曲を絶対歌うという縛りで(笑) これは今思うと「コードを覚える」という点で結構勉強になったような気がします。あの手の本のギターコードがメチャクチャだって気づいたのはもうちょっと後ですね。
Nくんはジャズとかも聴いていて、ラリー・カールトン、リー・リトナー、阿川泰子、高中正義、それにスーパー・ギター・トリオとかも教えてもらいました。高中はメロディが覚えやすくて結構ハマりましたね。「Finger Dancin'」とか耳コピしてました。パコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラの「地中海の舞踏」も耳コピしてNくんの前で弾きました。ビックリする顔が見たかったので。でもそんなにビックリしてなかったところを見ると、ちゃんとコピーできてなかったんでしょうね(笑)

エレキギターにハマる

大学生になってからはギターはどうだったんですか?
僕は地元の某公立大学の法学部に入学しました。そして学内での居場所を確保するために法学研究会というサークルに入りました。ボックス(いわゆる部室)が与えられていてそこにはいつでも出入りできますからね。別に法学を勉強したかったわけではありません。この時点で人生間違ってますよね(笑) そのサークルは結構真面目に勉強している人が多くて、現役で司法試験に合格した人もいたし大学院に行ってそのまま教授にまでなった人もいます。僕はソフトボール大会要員でした。ソフトボールは得意だったので。それとボックスにはなぜかアコギがいつも置いてあって弾き放題だったんです。音楽好きな先輩が多かったからだと思うんですけど、これはありがたかったですね。弦の張替えはもっぱら僕の仕事でした。
アコギが中心だったんですか?
最初はそうですね。サークルで新入生歓迎コンパっていうよくあるパターンの企画があって、しかも一泊二日の合宿形式だったんです。僕はなぜか自分のCat's Eyeを持っていってました、法学研究会なのに(笑) 先輩もギターを持ってきていて夜にブルース・セッションしたりして楽しかったですね。その時に全員(40人くらい)の前で一人で演奏することになって、長渕さんの「祈り」という曲を弾き語りでやったんです。これだけたくさんの人の前で一人で演奏するのは生まれて初めての経験でした。長渕さんの曲なら歌もギターも全部完コピしていたし、そんなに緊張もせず家でいつもやってるように演奏しました。みんな静かに黙って最後まで聴いてくれました。それで、演奏が終わったらドワーッて拍手喝采が来たんです。これは気持ちよかったですね。いろんな人に「良かったよ〜」って言われたりして本当に嬉しかった。ちゃんと演奏したらわかってもらえるんだ、って思いました。
音楽はその法学サークルだけで行なっていたのですか?
大学入学と同時にサークル関係とは別に仲良くなったやつがいて、そいつもずっと音楽をやってたらしいんです。ボーカル志向で高校時代に海外留学してて英語ペラペラとか。何かカッコつけてて変わったやつでした。僕が大学の至るところでギターを弾いてたのでそれをたまたま聴いてたんでしょう。向こうから僕に声をかけてきました。そいつと妙に気が合ってよく飲みに行ったり無理矢理マージャンに誘われたりしてました。僕がカモだったからでしょうね(笑)
その他にも周りに昔ベースやってたとかドラムやってたとかいうやつが結構いて、いつの間にかバンドでもやってみよかって話になりました。でも僕はエレキギターを持ってなかったので、超分割払いで(笑)とりあえず5万円くらいでGrecoのアイボリー色のレスポール Randy Rhoads モデルを買いました。浪人中に Ozzy に出会って当時は Randy Rhoads 命状態だったんです。
その頃からエレキギターを本格的に弾き始めたのですか?
そうですね。レスポールモデルを買ってからはエレキにのめり込みましたね。それまでやりたかったことが大爆発した感じ。昔聴いてた KISS に始まって Deep Purple, Led Zeppelin, Van Halen, Ozzy Ozbourne, Loudness, Bow Wow 等々、ハードロック系のいろんなバンドの曲のコピーを自宅でシコシコやってました。ただ実際のバンド活動ではハウンド・ドッグのコピーを中心にやってたので自宅での練習はあんまり役に立ちませんでしたけど(笑)
エレキギターの練習はどうやっていたのですか?
全て独学です。とにかく気に入った曲をコピーしていました。雑誌の YOUNG GUITAR や GUITAR MAGAZINE は毎月欠かさず買って隅々まで読んでいましたので、ここでいろんな知識が一気に増えました。
そのバンドで音楽を続けていったのですか?
あのバンドは大学祭で一度、ライブハウスで数回演奏して終わってしまいました。そうこうしている内に、やがてボーカルのやつが「俺は真剣なバンドを組みたいんや。そのバンドメンバーの第一号にお前をギターとして迎えたい。」と言ってきました。「はあ?」という感じでしたが、コピーバンドじゃなくてオリジナルを演奏するバンドをやりたいと。「曲ないやん。」って言ったらそいつが譜面持ってていっぱい曲が書いてあるんです。「曲は一応あるねん。まだアイディア段階やけど。」とか言ってて、何それスゲー!って感じでした。面白そうやったし二つ返事でOKしました。

本格的にバンド活動をスタート

二人だけでバンド活動をスタートしたのですか?
さすがに二人では始められません。ボーカルが「ベースは見つけてある」と言うので、一体誰かなーって思ってたらそのボーカルの弟でした。しかも楽器を弾いたことがないという(笑) これから練習するとか。そんなんで大丈夫かなーという不安を抱えつつもとりあえず三人でのバンド活動がスタートしました。
ドラムはいなかったのですか?
ずっと探してたんですけど、結局最後まで見つかりませんでした。ではライブをどうしていたのか?というと、当時YAMAHAからPCM音源を使ったリズムマシンが45,000円くらいで発売されたんです。それとちょっと古いRolandのリズムマシンをMIDIで同期させて鳴らしたりしていました。その後安価なシーケンサーと音源も手に入れました。ボーカル、ギター、ベース、リズムマシン、シーケンサーと音源。これでライブ活動を始めました。
オリジナルということですが、どういった音楽をやっていたんですか?
当時流行っていたイギリスのニューロマンティクス系のバンド、例えば Culture Club とか Duran Duran, Thompson Twins に David Bowie といった人達を意識していました。とにかく「誰もやってないような曲を誰もやっていないようなアレンジでやる」というのをコンセプトにしていました。曲は全部ボーカルが書いてアレンジも基本はボーカルが考えてたんですけど、他の二人の意見もいろいろ取り入れて面白ければどんどん変える、そんなスタイルでした。メロディ的にはシンプルでポップな曲が多かったですね。ただしアレンジは…普通絶対そうはしないでしょ?って感じばっかりだったような気がします(笑)
いきなりオリジナル曲のギターアレンジを考えるのは難しかったんじゃないですか?
そうですね。ボーカルはギターも弾けるんですけど、やつの指示は「クリーン系の音でジャジャジャ、ジャーン♪みたいな感じで」とかなんです(笑) なんとなくの雰囲気でしか言ってこないので自分なりにイメージを膨らませて必死に考えました。
ただこの時に、コード進行は決まっているけど全体の響きとかイメージとかを考えていろんなコードフォームを試すことになるんです。今考えるとこの作業がものすごく勉強になりました。音が外れてなきゃいいので自分で勝手にコードフォームを作っても誰にも怒られないし(笑)そういう意味では自由なんです。カッコよければそれでいい。この作業は最初は苦痛でしたが、慣れてくると「おー!このコードすげぇ!俺天才や!」とか夜中に叫ぶようになりました。
ギターはレスポールのままですか?
それがですね、志向している音楽とレスポールというのがイマイチ合ってない感じだったので、レスポールを売ってストラトに買い換えました。大阪のアメリカ村にある小さな楽器店へ行ったら、ピックアップはFENDER U.S.A.でボディはFENDER JAPAN(本当かな?w)という変てこなストラトがあってものすごく薦められたのでそれにしました。45,000円くらいだったと思います。トレモロアームをぐちゃぐちゃに動かしてもチューニングがほとんど狂わないところも気に入りました。このギターは今も持っています。

ライブハウス巡り

ライブハウスにも出るようになったのですか?
最初からいきなりコンテストに応募していました(笑) デモテープを作っていろんなコンテストに申し込みました。テープ審査を通過して第二次審査ではたいてい演奏オーディションみたいなのがあります。僕らのバンドは演奏力よりも曲の完成度を高めるほうに重点を置いていたので、はっきり言って下手だったんです。いろんなコンテストに応募しているうちにそれに気づき、もっと練習して人前で演奏せんとアカン!と考え直しました。
それで8〜9時間くらいスタジオを借りて練習するようになりました。そしてその場で一発録りでデモテープを作ってしまうのが常道になりました。大変でした。何が大変だったのかというと、スタジオ代です。当時確か3,000円/hくらいだったので9時間やると27,000円。3人ですから一人9,000円です。それを週3日とかやるんです。弦の替えも要るしエフェクターとかも全部自腹なのでギターが一番お金がかかるんです。アルバイトもメチャクチャやっててその稼ぎを全てバンド活動に投入してました。青春でしたね(笑)
そこで完成したデモテープを持ってあちこち回ったんですね。
そうです。当時大阪府下にあったライブハウスはほとんど全て回りました。最初はなかなか出演させてもらえませんでしたが、一つ二つとやらせてもらえるところが出てきました。最初やったのが確か大阪・梅田のキャンディーホールってところで、クリスマス企画かなんかのブッキングライブでした。いろんな友達を呼んで見に来てもらいましたね。中学卒業以来会ってない同級生の女性とかにも声をかけたら意外にも来てくれて、会ってみたらメチャクチャ綺麗になってて嬉しいやら恥ずかしいやら。僕はと言うと、後ろ髪が腰くらいまで伸びててメッシュ入れまくって化粧もしてましたので(笑)「誰?」って感じだったでしょうね。
それからはどんどんライブも増えていった感じですか?
そうですね、大阪で名前が知れたライブハウスにはほとんど出演しました。堺にあったとあるライブハウスでは月一で出してもらえるようになりました。梅田のアムホールにも出してもらったし、心斎橋のミューズホールではこけら落としのオープン記念ライブに出してもらえました。これは堺のライブハウスのブッキング担当のTさんがミューズホール関係の仕事もしてて、Tさんが僕らのことを気に入って推薦してくれたおかげです。Tさん、どうしてるかなあ。当時はTさんだけが僕らの理解者でした(笑)

バンドは自然消滅へ

その後のバンドの動向は?
ライブ活動とコンテスト応募、その後もこの2つを徹底してやっていました。プロになるのを夢見て。ところがなかなか芽が出ませんでした。それに加え僕の家庭事情が原因で僕がバンドに関われる時間が極端に減ってしまい、やがてバンド活動を続けていくのが難しくなりバンドは自然消滅してしまいました。
そうだったのですか…
実はバンドばっかりやっていたので大学を1年留年していて卒業後すぐに絶対就職しなければならない状況だったので、いわゆる就職活動を行ない何とか就職が決まりました。当時はバブルの絶頂期前で就職戦線は売り手市場だったので本当にラッキーでした。今の時代なら僕みたいなやつは絶対就職できなかったと思います。

ギターは弾き続けていた

就職後もギターを弾いていたのですか?
はい。入社して数年は正にバブル期で仕事がとてつもなく忙しかったので音楽を聴くことすらあまりできていませんでしたが、3年くらい経ってからは新しい音楽も聴きギターも弾くようになりました。ほとんどがエレキギターですけど。雑誌の GUITAR MAGAZINE だけはずっと買い続けていて、そこで新しく知ったバンドやギタリストの新譜を入手してコピーしたりしていました。この頃は Yngwie Malmsteen なんかもコピーしていましたね、できてなかったけど(笑)
Yngwie にも行っちゃったんですね!
はい(笑) Alcatrazz を辞めてすぐ出したファースト・ソロでの Yngwie はやっぱり凄かったので。それとなんと言っても Extreme の Nuno Bettencourt にはガツンときました。元々ファンキーなノリの曲が好きだったこともあるし、しかも Van Halen 以降のバンドサウンドも踏襲していて且つ Queen の影響もモロに受けていた Extreme は衝撃的でしたね。来日公演も2回見に行きました。特にサードアルバム発売後の来日で、大阪城ホールのアリーナの前のほうで見ることができたんですけど、Nuno の圧倒的な演奏力とパフォーマンスには感動しました。もう忘れてしまいましたけどコピーもかなりやってました。今でも Extreme はたまに聴きます。やっぱりカッコいいし元気が出ますね。

阪神淡路大震災とソロギター

なかなかアコギの話が出てきませんね(笑)
申し訳ございません(笑)
その後平成6年頃に職場が神戸市灘区に変わりました。そして翌平成7年1月、あの阪神淡路大震災が起こりました。僕の大阪の家はなんとか大丈夫だったんですけど、職場のほうが建物はかろうじて建っていたものの、中がほぼ壊滅状態でした。会社が通常営業に戻るのに約半年かかりましたが、それまでずっと休み無しで出社していました。僕は大阪の堺市に住んでるんですけど毎日神戸まで行くのも大変で。でもしんどいとか疲れたとか言ってる場合じゃなかったしもう無我夢中でした。
半年も?!それは大変でしたね。
はっきり言って疲れていました。プライベートとかあってないみたいな環境でしたしね。まあ仕方ないんですけど。
そんなある時、大阪の難波でフラッと楽器屋さんに寄ったんです。そしたらアコギが2台大きく掲載されている本が目に飛び込んできました。「THE ACOUSTIC GUITAR 6」っていうタイトルで、真ん中に「吉川忠英&岡崎倫典 最新オリジナル・ナンバーをCD&スコアで完全収録!」って書いてありました。リットー・ミュージックのムックで2,900円といい値段だったんですが、吉川忠英さんはよく知っていてちょっと聴いてみたいなあと思い衝動買いしてしまいました。2つの新曲がこのムックの為に録音されていてCDで聴けたんです。もちろん楽譜付きで。これは癒されましたね。
で、もう一人の岡崎倫典さんなんですけど、この時点では全く知りませんでした。忠英さんの音源ばかり聴いて倫典さんのはずっと聴いてなかったんです。でもある時にそれももったいないなあと思い直し、倫典さんの音源も聴いてみました。
もう震えましたね。なんだこの美しさは…って思いました。「めざめの瞬間」(1956年製 Martin D-28) と「雲の上の小さな島」(1946年製 Martin 000-28) の2曲だったんですけど、もう本当に素晴らしいトラックなんです。このムックを手に入れないとなかなか聴けないんですけど、アコギファンの方には絶対聴いてもらいたい音源ですねこれは。このムックでの忠英さんと倫典さんの音源を聴いたのが、僕にとってのソロギターとの出逢い、と言えるのではないかと思います。
そうしたらその後はソロギターにどっぷりという感じですか?
いや全然(笑) 倫典さんのその2曲にも挑戦してみたんですけど、「めざめの瞬間」は変則チューニングでアレルギー反応が出て却下(爆)、「雲の上の小さな島」はレギュラーチューニングでしたが、まだまだ全然わかってなかったんでしょうね、オリジナルには程遠い演奏しかできなくて凹んで放置していました。
これは今考えると、もちろん腕が無かったってのもありますがギターにも問題があったんだと思います。その時点で買ってから15年くらい経っていたCat's Eye CE-300を何の調整もせず弾いていましたから。弦高もかなり高かったと思います。ソロギターを弾く状態ではなかったんですね。

パソコンにハマる

ソロギターに行かなかったということは、引き続きエレキですか?
いや全然(笑) 神戸では約7年間仕事をしてたんですけど、7年目に入ったくらいにパソコンが会社にも導入される時代になったんです。最初はパソコン??って感じだったんですけど、相性がよかったのか、凄く興味を持つようになりました。それに自分の中の世界が変わったのはいわゆる「フリーソフト」というものがこの世に存在することを知ってからですね。そういうソフトを扱っている雑誌があって、インストールして使ってみるとメチャクチャ便利なやつがあるんです。自分と共通した発想でソフトを作っている人がいるというところにとてつもない魅力を感じました。そして義理の弟がIT関係の仕事をしていて結婚祝い返しとして新品のパソコンを一台くれたんですよ。ここから僕の生活は大きく変わりました。
そしていよいよインターネットが普及してきます。僕もすぐプロバイダー契約しました。もちろんダイヤルアップ接続で。月10時間まで定額であとは従量制みたいな契約しか当時は無くて、契約した翌月の請求書に使用時間120時間とか書いてあって(笑)すんごい金額の請求書が来てもう笑うしかありませんでした。でももう止められなかったですね。パソコンとインターネットは自分の生活と価値観を大きく変えるものでした。
それからはギターを弾かずにパソコンばかり触ってたってことですか?
そうです(笑) 2001年だったと思うんですけど自分でサイトを立ち上げて運営するようになりました。HTMLとか全然わかってないのに手探りで少しずつページを作っていって、ある程度コンテンツができた時点で公開したんだと思います。「パソコン遊戯」という名前のサイトで、大好きなフリーソフトの紹介をメインにその他パソコンに関連するネタで興味を持ったものを惜しげもなくどんどん公開する、という形式でやってました。毎日更新してましたね、どんなに遅くまで飲みに行ってても(笑) それがポリシーだったんです。そこから7年くらいは自分の時間のほとんどをそのサイトの運営に投入していました。一日1000人くらい訪問者があるサイトにまで成長しました。ネットを通じて関連するサイトの管理人さんと仲良くなってオフ会とかに出かけたりもしていました。
でもですね、楽しいうちはいいんですけどさすがに疲れてきて(笑)更新するのが億劫になってきちゃったんです。そうなるともうダメですね。更新頻度がどんどん減り、最後はレンタルサーバーの更新手続を怠って契約を切られてそのサイトは消滅しました。続けるのって本当に難しいですね。

押尾コータローさん

サイトを閉鎖した後は?
ちょうどその頃例のボーカルの引越しを手伝いに行く機会があって、ボーカルの奥さんの友人(女性)の車に乗ることになったんです。その時その女性がカーステレオのスイッチをオンにしたら、アコースティック・ギター・ミュージックが流れてきたんです。じっと聴いてたら段々音の中に自分が吸い込まれていく感覚になりました。驚きましたね。
「すいません、これ誰なんですか?」「押尾コータローという人です。」
押尾コータロー。全然知らない。後でわかったんですけど、この時聴かせてもらったのはファーストアルバム「Starting Point」でした。帰宅した後もずっと頭の中に音が残っていて、これは聴いとかなあかんなあということでCD屋へ走りました。何枚か置いてあって当時の一番新しいアルバムが「Be HAPPY」だったのでこれを買ってみることにしました。1曲目の「翼」を聴いた時はぶったまげましたね。何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。弾いている姿を想像できませんでした。音がやたらいっぱい出てましたしね(笑) この「Be HAPPY」は相当聴きこみました。で、当然弾きたくなったのですが、耳コピできる気がしなかったので楽譜を探しに行ったら普通に売っていて「結構有名な人なんや!」と初めて気づきました。
それからは押尾さんに傾倒していったんですね?
そうですね。「Be HAPPY」の楽譜を買って最初に思ったのは「この人、普通のチューニングの曲あるん?」 いやあるんですけど(笑) 僕はその時点ではまだまだ変則チューニングアレルギーで、弾けるのはレギュラーチューニングの曲だと頭の中で決め付けてしまっていたので、「翼」をはじめいわゆる押尾さんの特徴的な演奏方法は全然身につきませんでした。で、一番好きなのが「桜・咲くころ」だったんですけど、チューニングを見たらレギュラーで「やった〜。これで俺も弾けるぜ!」ということでコピーを開始しました。
しかしながら…これがなかなか弾けませんでした。左手のストレッチ、右手の指を自由自在に使う弦飛びフレーズ、この「桜・咲くころ」はゆっくりしている割に結構難しいんですけど、選んでしまったから仕方がない。繰り返し繰り返し練習しましたが、満足できるレベルには全く到達しませんでした。それに調整していないCat's Eye CE-300で弾くことにもやはり無理があったのかもしれません。それで結局また放置してしまいました。

ついに Martin をゲット

押尾さんの「桜・咲くころ」でも挫折…
挫折です(笑) 弾くのは半分あきらめかけていたんですが、押尾さんのライブを一度見に行きたいなーと思うようになりました。それで「Starting Point」を聴かせてくれた女性に聞いてみたら、彼女はなんと押尾さんのファンクラブにも入っていてかなりの押尾狂でした。そしてライブのチケットを取っていただけることになり、2007年1月ついにNHK大阪ホールで押尾さんのライブを初体験することができました。アルバム「Color of Life」のツアーですね。しかも座席が1列目のど真ん中だったんです。もう感動の嵐でしたね。爪の形まで良く見えたし(笑) 初めて見る押尾さんは僕にとってミュージシャンというよりも圧倒的なパフォーマーでした。すごい人が出てきたなあと思いました。
ちなみに押尾さんの「Color of Life」ライブDVDでは、後半のウェーブ集のところで僕がモロに映っています(笑)
ギターの練習のほうは?
偶然なんですけど、押尾さんのライブ初体験とほぼ同時期にある知人から「状態のいい Martin があるんやけど要らん?」みたいな打診が来ていました。押尾さんのライブを見てからはギター弾きたい病に感染していたので(笑)もうノリで「Martin 引き取ります!」って回答しちゃったんです。Martin を買ったら弾けるようになるんじゃなかろうか?という淡い希望もありました。でもこの Martin を手に入れたことでその後のギター人生が大きく変わりましたね。正確には2002年製の Martin HD-28V というモデルです。
Martin を手に入れたからといってすぐに弾けるわけじゃないですよね?
もちろんそうなんですけど、ただそれまで弾いていた Cat's Eye とは比べ物にならないくらい弾きやすかったんです。そして更に、しばらく弾いていて特定のフレットでビビる感じがあったのでプロのリペアマンに見てもらったんです。フレットがかなり減ってたみたいで、フレットの擦り合わせとサドル・ブリッジの調整をしてもらいました。で、返ってきたら Martin が更に弾きやすくなってたんです。弦高もより下がってたと思います。「ネックを真っ直ぐにしただけですよ」ってリペアマンがおっしゃってました。
「調整でこんなに弾きやすくなるものなのか。これなら弾けるかもしれない…」
この時点からソロギターの練習量が一気に増えました。押尾さんのアルバム「Color of Life」では「Indigo Love」という曲が大好きだったので必死に耳コピしました。並行して「桜・咲くころ」も練習を再開してもの凄いエネルギーで練習するようになりました。この頃からですね、ソロギターに目覚めたと言えるのは。Martin を手に入れたからこそソロギターに目覚めたんです。

耳コピ三昧

耳コピをされていたということですが、そんなに簡単にできるものなのですか?
もちろん簡単じゃないですけど…バンド時代にリズムマシンやシーケンサーを使っていた話をしましたよね?あれ、最初はボーカルが入力を担当していたんですけど、ある時「俺はボーカルに専念したいからお前がやって」と言われて強引に僕の担当にさせられたんです。で、当時ライブでコピー曲とかもやっていて、A〜haの「Take On Me」やHoward Jonesの「New Song」といった曲のドラム・キーボード・ベースを耳コピしてシーケンサーに打ち込みする、という作業を強いられていました。これが途方もない時間がかかるんですよ。でも僕は当時はかなりの完璧主義者で納得いくトラックができるまで徹夜して延々やってました。この時の経験が今は大いに役に立ってますね。
なるほど…
ソロギターの場合楽器が一つだし、しかも自分が日頃演奏している、よくわかっているギターなので、バンドの各パートをそれぞれ耳コピするのに比べたらかなり楽です。だから簡単じゃないけど苦痛でもないんです。どっちかと言えば楽しいですね(笑)
だからその後は押尾さんのレギュラーチューニングの曲を耳コピするのが日課みたいになりました。押尾さんのアルバム「Nature Spirit」が出た時は、「スマイル」「My Home Town」なんかもすぐ耳コピしました。その後「君がくれた時間」「Always」なんかもやってましたね。

岡崎倫典さん

押尾さん以外の人は聴かなかったのですか?
最初は押尾さんしか聴いていませんでした。ある時、大阪・河内長野に百年邑っていうライブスペースがあるんですけど、そこに岡崎倫典さんが来るっていう情報を偶然入手したんです。震災の時に僕を癒してくれた倫典さん。って2曲しかまだ知らないんですけど(笑)勢いでライブを見に行ってみることにしました。
これまたメチャクチャ感動したんですよ。とにかくサウンドが素晴らしい。そしてどの曲も凄く印象に残ったんです。これも完全にヤられました。終わってから倫典さんと一緒に写真を撮ってもらいました。爪がもの凄く強いというお話も聞いたし。「Living Naturally」と「Thanks My Dear」の楽譜も買いました。
倫典さんにも傾倒していったのですか?
はい。発表されている音源はほぼ全て買いました。ギターのコピーも結構やってるほうです。最初に聴いた例の2曲はもちろん、譜面を買った2曲と「See You...」「雲の上を散歩」「G線上のアリア」「花田植」「City of Tokyo」なんかも弾いてます、それなりに(笑)
ただ倫典さんの曲はどれも難しいです。特に左手が。独特の癖があるんですよね。これは何とかしてほしいです(汗)
あ、それと去年ですが一度倫典さんの個人レッスンを受けました。三木楽器主催のやつです。「City of Tokyo」と「花田植」が課題曲でした。緊張しててほとんど覚えてませんが(笑) 自分で作っていった譜面を全部チェックしていただけて嬉しかったです。

岸部眞明さん

押尾さん、倫典さん、ときたらお次は?
岸部眞明さんですね。岸部さんにも一度レッスンを受けています。2010年8月ですね。
押尾さんや倫典さんの曲は Martin でピッタリ来てたのですが、岸部さんを知って曲を弾こうとすると Martin ではどうも合わないんです。そこでレッスンを受ける直前に、たまたまなんですけど岸部さんも持っているというチェコ製の Furch S-23 CMCT というモデルが中古で安く出てたんです。すぐ試奏に行って気に入ったので買ってしまいました。この Furch は現在の僕のメインギターです。もの凄く気に入っています。
その Furch でレッスンを受けたのですか?
そうです。岸部さんが選んだモデルだけあってサウンド的に岸部さんの曲に凄くマッチしている気がしました。レッスン前には結構頑張って練習してレッスンに臨みました。ところが…
岸部さんのレッスンには僕のギタースタイルが根本的に変わってしまうくらい影響を受けました。まず徹底的に右手の弾き方を叩き込まれました。岸部さんに右手を押さえられたまま延々アルペジオさせられたし(笑) 僕はずっと我流でやってきたので変な癖がついていたんですね。「ギターってこうやって弾くもんなんですよ」っていう本当に基本的な部分を教わった気がします。これは大きかったですね。右手小指をボディにつける癖も今ではすっかり無くなりました。より自由になった気がします。岸部さんには本当に感謝しています。

Furch

Furch のどういうところが気に入っているのですか?
まずコストパフォーマンスが高いことです。S-23 CMCT の定価は確か23万円くらいでした。僕が買った中古は買値が12万円でほとんど新品でした。これはラッキーでしたね。G よりちょっと大き目の S だからなのか、低音に凄く余裕があり且つ高音のギラギラ感が適度に抑えられている感じです。ふくよかだけど出しゃばり過ぎないというか。日本国内のルシアーによるギターに比べたらかなりリーズナブルな価格なんですが、この値段でこのサウンドは素晴らしいと思います。Furch はソロギターを始めようと思っている方にはぜひお薦めしたいですね。
そして弦はエリクサーの Nanoweb を愛用していて、これが Furch S と凄く合っている気がします。低音と高音のバランスが自分好みになります。エリクサーはちょっと高いけどやっぱり長持ちするしサウンド的にも好きだし必需品ですね。
ピックアップはつけているのですか?
L.R.Baggs の Anthem SL です。通常の Anthem は Furch のブレーシングの関係でコントローラが着けられませんでした。最近たまにライブをやらせていただいたりするんですけど、この Anthem SL だけでやっています。プリアンプもリバーブも今のところまだ持ってません(笑) 卓へ直行です。一応何とかなってます。リバーブは会場の卓でかけてもらってます。
男気がありますね(笑)
というか、弾くことで精一杯で機材面の研究とかがまだ全然できていないし仕方ないですね。これからボチボチ研究していきたいです。いいのがあれば是非教えてください、但し安いやつ(笑) でも Anthem は優秀なピックアップだと思いますよ。Anthem だけでも「イイ音」と言ってくれたプロのギタリストもいます。弾き手が良い、とは全然言ってくれませんが(笑)

ソロギターの世界へ邁進

その後はどんどんソロギターの世界へ?
そうですね。押尾さん、倫典さん、そして岸部さんから徐々に始まったんですけど、その後は田中彬博、Shohei Toyoda、ぷう吉、わたなべゆう、Aki Miyoshi、川畑トモアキといった関西のギタリストのライブへもちょくちょく足を運ぶようになりました。九州の西村歩、城直樹、関東の伊藤賢一、小川倫生、下山亮平、といった人達のライブへも行きました。ギター関連リンク集に掲載しているギタリストはほとんど最低一度はライブで見ています。
それもこれも、Aki Miyoshiさんが大阪の富田林で経営していたLive Bar「プリモ・ピアット」の存在が大きかったですね。上に挙げたようないろんなソロギタリストのライブを次から次へと企画してくれました。自宅から近いので行きやすいし本当にありがたかったです。今は残念なことに閉店されましたが、Akiさんも忙しくなってきたし仕方ないですね。Akiさんには本当に感謝しています。
海外のギタリストは?
トミー・エマニュエルのライブは見たことがありますが、トミー以外はまだないかな? あ、Peter Dickson はあります、ぷう吉が連れてきてくれたので(笑) 海外のギタリストも今後はもっともっと聴いていきたいですね。
国内のギタリストの魅力は?
まず、普通に話ができることですね(笑) あの倫典さんでさえ、最初にライブに行って終わったら僕の目の前に生ビールを持ってドンッと座ったんですよ。「どこから来たの?」「堺市です」「それって海の近く?」「僕が住んでいるところは海からは結構距離のある内陸部です」みたいな会話がいきなり始まりました。これには驚きましたね。
ほとんどの国内ギタリストのライブ終了後には打ち上げがあって、お客さんも参加できるんです。これが本当に楽しい。だって、プロのミュージシャンと話をするなんて僕の昔の常識では考えられませんからね。それが普通に話できる。聞きたいことは山ほどあるんですけど、こっちも最初は緊張してて全然話せなかったり。今では図々しいくらいいろいろ質問したりしちゃってますけどね(笑)

西村歩さんのギタースタイルが好きです

最近のお気に入りギタリストは?
宮崎の西村歩さんですね。まだアルバムは2枚しか出てないですけど、本当にどの曲も素晴らしく大好きです。何なんでしょうね、この感覚は。もの凄く自分にフィットするんですよ。元々押尾さんがやっているような叩き系の曲とかは僕の爪が非常に弱いのでほとんど弾いていないんです。バラードばっかり。バラードが好きなんですね。西村さんの場合は叩き系もあるにはあるけど基本は標準的なフィンガーピッキングで、特にバラードが素晴らしくグッと来ます。メロディが好きなんでしょうね。
それと西村さんを好きになったおかげで変則チューニングに対するアレルギーがほとんど無くなりました。なんせほとんど全て CGDGBD ですからね。ほんの数曲で2弦が A になるだけ。かなりたくさんの西村ナンバーをコピーしたので、今ではデフォルトのチューニングが CGDGBD になってしまってます(笑)
西村さんとは親交もあるとか?
いや親交というか、去年関西にライブで来てくれた時に飲みに誘ったら普通に来てくれただけです(笑) まさか来てくれるとは思っていなかったので嬉しかったですね。実は今年の3月にも誘ったら、というか向こうから誘ってきたと言ったほうが正確かもしれません(爆) やっぱり来てくれました。しかも今回はギター持参で。「嬉嬉」という僕の行きつけの飲み屋が心斎橋にあるんですけど、そこの大将の為に2曲真剣に演奏してくれました。大将は超感動してましたね。というか、僕ら自身がメチャクチャ美味しかったです(笑) あんなことは普通ないでしょう。西村さんって本当にいい人だと思います。

ひたすら弾く、という練習

今現在、ギターの練習はどういった方法でやっていますか?
気に入った曲をひたすら弾きます。ほとんどがコピー曲で到達すべきイメージははっきりしているので、そこに向かって練習します。左手の運指であったり右手のピッキングであったり、よく躓きますが、とりあえずは考えずにある程度弾けるようになるまではひたすら弾く練習です。
そしてある程度弾けるようになると、どうしてもミスしてしまうところとか、弾きにくいと感じるところ、イメージどおりに弾けないところがはっきりしてきます。そこを一つ一つ潰していくイメージですね。かつては力で押してばかりだったのですが、ここのところちょっとは頭を使うようになり(笑)冷静に考えたりします。最近気づいたんですけど、弾けないところ・弾きづらいところというのは必ず余計な力が入ってしまっているんですね。普通に弾いて弾けないのですから、実は力を入れても絶対弾けないんです(爆) だから困った時は、もの凄くスピードを落として力をメチャクチャ抜いて弾いてみる、ということをやっています。こうやると必ず弾けるんです、当たり前ですけど(笑) そうして普通のスピードに徐々に戻していく。そうするとどこに問題があるのかが割りと早く見つかるような気がします。
なるほど…
ただこういう方法で磨けるのはあくまでもテクニック的な部分です。こういうことを考えずに弾けるようにならないと「表現」という域にはなかなか到達できないのでしょうね。そうなれることが理想です。僕的にはとんでもないレベルなんですけど(汗)

ギターをもっともっと楽しみたい

今後の活動予定は?
僕はプロじゃないんで活動予定もクソもないんですけど…最近思うのは、もっと人前で弾かなあかんなあってことですね。家で練習している時に弾けていてもライブになると全然弾けなくなるんですよ。情けないくらい。
でもアマチュアなりのやり方ってのもあると思っています。去年 Aki Miyoshi さん主催で行なわれた Fingerstyle Arrange Competiion のプロフェッショナル部門に出ちゃったんですけど、もちろん僕がぷう吉くんとか城さんの相手になれるわけはないんですが、あれに出たことで何となくですがギターの楽しみ方、もっと自分で楽しめる道、みたいなものを悟れたような気がするんです。もっと自由にやったらええやんって思えるようになりました。
あの時に必要に迫られてオリジナル曲も1曲作りました。これからも少しずつでいいので僕なりのオリジナルが作っていけたらいいなあと思っています。それとまだプロの人もやっていない曲のアレンジにも挑戦してみたいです。僕の好きな曲は変わっているので(笑)たぶんかぶらないと思うし。
実は、僕は今年7月で50歳になってしまいます。もう誤魔化しは効きません。僕は僕なりのやり方でもっとギターを楽しんで、できれば自分の曲も書き、自分なりのアレンジもして、ライブもそこそこやっていきたいなあと思っています。今までは人のコピーばっかりやってきたけど、もっと自由でもいいのかなって。でも好きな曲はまだまだコピーすると思いますけど。
「こいつ、よっぽどギターが好きなんやな!」って言われたら最高ですね。
今日はありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。