高忠実度再生への新しいアプローチ

物理特性はなぜ聴感と合わないのか

周波数特性にしろ、ひずみ率特性にしろ、従来の測定法ではどうも聴感と一致しないケースが多いというのは、今や大方の意見です。結果の見方にオチがあるのか、あるいは、やはり新しい見方が必要なのか−−そういった根本的な問題に目を向けてみると、どんな局面が見えてくるのか、それがこの記事の眼目です。特に時間軸に関するひずみの問題は今後大いに注目すべきだと思います。(ラジオ技術編集部)

オーディオの新製品が次々に発表されます。音楽再生ウンヌンのコピーがかならずついています。どのような技術と理論で音楽を再生するのか、と見てみると、「f特フラット、高周波ひずみを少なく」ということ以外には、大したことはいってないようです。f特とひずみだけでは音楽を再生できません。それらは再生の重要課目ではありますが、他の重要課目の点が悪くては駄目だ、ということです。

このシリーズでは、今までなおざりにされていた重要課目を提示したいと思います。そして皆さんとともに考え、音楽再生について及第点を取れるオーディオ技術を完成させたいと思います。再生のネックは、衆人の認めるところスピーカ・システムですので、これを中心に話を進めます。日進月歩の世の中で10年、20年前、いや50年前とさえ変らないのがスピーカです。他の工業製品では考えられないことです。音楽がわかれぱ、現在の高度な技術と工学手法、思考法等を活用して桁違いに音の良いスピーカー・システムができるはずです。

時間軸に関するひずみについて

マルチパス・ゴーストひずみの提案

再生音は、聴けば誰もがすぐ「再生音である」とわかる独特の音色を持っています。システムにインパルスを入力して聴いてみますと、それぞれ「ピシッ」「ピチッ」等いろいろに聴こえます(第1図)。ほんとうは「ポツッ」というように聴こえるべきインパルスがダブったように聴こえるのは、何かの反射が原因ではないかと考えられます。ホーン・スピーカ内でマイクロフォンを移動させ、軸上の50点で取り込んだインパルス応答データをコンピュータで並び換えると、第2図のパターンが得られます。

第1図
第1図 いろいろなスピーカーのインパルス応答例
第2図
第2図 セクトラル・ホーン内の音波の乱れ

インパルス波が時間とともにホーン内を進む様子がよくわかります。支柱やセパレータに当ったインパルス波は反射して戻っています。このような現象で音楽の音も変ります。例えば高域がやかましくなる、やせる、弦やボーカルのニュアンスがわからなくなる、華やかに好ましく聴こえることもある、等です。これらの現象はテレビにおけるゴースト等に似ているので、マルチパス・ゴーストひずみと呼びたいと思います。微少な反射は、自己相関関数やパワー・ケプストラムの技術を使って知ることができます。時間軸データにおいてt時間離れた相関度が高いということは、その時間(距離)はなれたところの反射波の存在を示します(第3図)。同図の場合はマルチパス・ゴーストひずみ10%ということになります。

第3図
第3図 -20dBの反射おくれを伴うインパルスとの自己相関関数

ところでマルチパス・ゴーストひずみがあっても、正弦波を使ったのでは聴いても測ってもわかりません。1kHzの正弦波は何重に重ねても1kHzのきれいな正弦波です(第4図)。スイープした時干渉によりf特に凸凹が生じますが、1%のゴーストひずみの場合で0.1dB以下ですから、記録計のペンの幅にもなりません。ひずみ(高調波ひずみ)がないのに音が変る−−従来の物理特性には現われないが、音楽再生を害するひずみが1つ見つかったわけです。このひずみは不快感を伴うとは限りませんので、今までチェックされなかったのでしょう。

第4図
第4図 正弦波ではわからないひずみ

自己相関関数法を用いれば、入力信号がわからなくとも、出力信号だけでひずみの存在を知ることができます。第5図は番組音を用いて測定した例です。出力だけでひずみを検知する、これは人間が耳でしていることに似ているではありませんか?

第5図
第5図 マルチパスゴーストひずみを持つ信号系を通ったFM放送ディスク・ジョッキーの自己相関関数
(1000回平均、6分間)

従来の周波数特性と聴感が合わない理由

このような測定法で調べますと、ホーン・スピーカにおいては、前出の支柱、セパレータ以外に、音響レンズやちょっとした壁面の凸凹までがゴーストひずみを発生していることがわかります。ラジアル・ホーンも壁面が急に拡がる角でこのひずみを発生します。市販のホーンのほとんどすべてが不合格です。

そこでマルチパス・ゴーストひずみのないホーンを開発しました。詳細は別の機会に発表させていただくとして、特性を第6・7図に示します。インパルス応答とトーンバースト波をコンピュータでたたみ込み積分してやれば、トーンバースト応答が求ります。

第6図
第6図 インパルス応答とトーン・バースト応答の例

第6図は第1図Aのスピーカのトーンバースト応答です。マルチパス・ゴーストひずみでバースト波が増倍されます。振幅が同じでも波の数によって聴こえる大きさが異なるはずで、振幅と波の数から音の大きさを考えると、入出力の音の大きさの比は1波の方が大きいようです。

第7図
第7図 インパルス応答と1波トーン・バースト応答の例

そこで、各周波数について1波トーンバースト応答の計算をすると、第7図を得ます。さらに、応答波のパワーを計算してこれを入力パワーで正規化したものを、第8図に○印でプロットします。こうして得られた特性は、最も短い信号に対する聴感上のf特と考えてもまちがってはいないでしょう。

第8図
第8図 長い信号と短い信号に対する周波数特性の違い

理想的なシステムでは、これは持続正弦波による従来のf特に一致しますが、Aのようなシステムでは過渡音と連続音ではトーンが異なるはすですし、現実のソースにおいては平均的にハイ上がり気味に聴こえそうです。従来の物理特性(f特)と聴感とが合わない原因がまた1つ見つかったわけです。

インパルス応答と楽音をたたみ込み積分すると、楽器をそのシステムで鳴らした時のマイクロフォン出力に相当するものが得られます。実際のマイクロフォン出力による実験より良い点は、何回でも厳密に同じ楽音を使えることです。

第9図にシロフォンの実験を示します。試作システムは、その楽音的特徴、マレットがシロフォンのプレートに当る衝撃性雑音の中に正弦波が成長して行く様子、楽音の包絡線、等のすべてを正しく伝えています。一方、Aのシステムでは失われる音楽情報が多いようです。ただ、華やかな音がしそうなので、これを良い音だとする人がいるかも知れません。

第9図
第9図 インパルス応答とシロフォンの楽音に対する応答

振幅に関するひずみについて

ホーン形とコーン形の動作のちがい

f特重視の現オーディオ界では、3〜5ウェイの直接放射型システム、すなわちコーン型、ドーム型、平板型等が幅をきかせています。一方、ホーン型は特有の音の良さを持っているので、一部マニアには好まれていますが、くせが多いとして特殊扱いされたり、高忠実度再生には適さないものとさえされています。

ホーン開口端による低域反射のくせはよく知られ、多くの研究もありますが、マルチパス・ゴーストひずみで述べたように、高域にも反射があり、くせを作っていたのです。このようなくせを取り去って行くと、ホーンの良さが生きて来ます。その良さはいろいろ考えることができますし、それらの良さは、他の方式では実現できないことなのです。その1つ、ひずみについて考えてみます。

高調波ひずみは本レポートでいうところの「従来の物理特性」ですが、他の重要課目の点が良くなって来ると、これはやはり音の良さにつながります。ただし、音楽再生のためには、その量だけでなく質を評価しなければなりません。ホーン方式にはアンプよりもひずみの少ないスピーカができる可能性があるのです。

電気音響変換器を制御方式によって分類すると、弾性制御方式のヘッドフォン、低抗制御方式のホーン型スピーカ、慣性制御方式の直接放射型スピーカー−−コーン型、ドーム型、平板型等−−の3方式となります。これらの3つの方式は、ボイスコイルで振動板を動かし音を出す点では同じように見えますが、ひずみの発生について考えてみますと、まったく異なった性質を持っています。第10図を見てください。

第10図
第10図 3種の電気、音響変換器の周波数特性

直接放射型の振動部は質量が支配的ですので、周波数の上昇とともに動きにくくなります。したがって、その速度特性は右下がりになります。これに反して、ヘッドフォンは耳との間の空気密度が振動系インピーダンスを支配しますので、周波数が上昇するにしたがって動きやすくなります。ホーン型は、電磁制動とホーン負荷が十分掛かっている帯域では抵抗制御となり、その速度は周波数にかかわらず一定となります。

次に、ボイスコイル振動板の変位について考えます。変位は速度を積分したものですから、コーン型は-12dB/octの右下がり、ホーン型は-6dB/octの右下がり、ヘッドフォンは一定ということになります。このように、速度や変位のf特は異なるのに、うまい具合に音圧のf特はどの方式でも平垣になるから不思議です。

すなわちコーン型では、周波数が上がると速度が下がる代りにコーン紙が波長に対して相対的に大きくなり、放射効率が上昇する。また、ホーンは速度が一定で放射効率も一定。ヘッドフォンは、周波数に対して一定な変位がそのまま一定の音圧となる、という具合です。

各方式の振動板の変位特性に差があると理解している人は少ないでしょう。また多くの人は、f特に差があったとしても、振動板の変位と音圧波形は相似形だと思っているようです。正弦波では同じでも、音楽信号では方式によって異なります。

第11図
第11図 出力音圧(上)と振動板変位。左の方が音圧小

第11図はコーン・スピーカの出力を小音量から大音量でひずむまで変化させて音圧波形を見たものです。音圧のひずみ波形(上段)に納得できない人もおられるかもしれませんが、積分器を通して変位波形を作ってみると、これは飽和波形そのものであることがわかります。コーン・スピーカの場合は速度波形に-6dB/octのイコライジング、すなわち積分してやれば、変位波形となります(第10図参照)

ホーン・スピーカはひずみが少ない

変位でひずみが発生するとしてシミュレートすると、第12図になります。高次になるほどひずみの差が大きくなります。音楽再生にとって奇数次のひずみが有害なこと、高次のひずみは値が小さくとも有害であること等は、よく知られています。

第12図
第12図 各種方式のひずみ波形とスペクトラム

このことから、安物のヘッドフォンでもなかなか良い音がすること、ホーン・スピーカが、くせはもちながら良い音を秘めていること等が納得できます。第1表(?)にコーン型と直接放射型のひずみの差を計算してみました。ホーン型は直接放射型に比べて、振幅が少ないので、変位ひずみそのものも少ないことを考えれば、この差はさらに拡大されます。質が良いうえに量も小さくできるのです。

第13図は試作ホーン・スピーカのひずみ特性です。ひずみが測定系のノイズ・レベル以下になりますので、音圧110dBで測定していますが、通常の測定レペルではもっと少なくなります。2次ひずみは気にしなくて良いので、有害な3次ひずみについてみれば、通常リスニング・レベルでは0dB以下となり、聴こえないことになります。

第13図
第13図 試作ホーン・スピーカーのひずみ率特性

アンプの高調波ひずみは0.003%等少ないようですが、それは正弦波最大出力時の話です。アンプのひずみデータを調べてください。この試作スピーカなら、普通のリスニング・レベル1W以下では、アンプの負けです。特に微少な音になればなるほどアンプのひずみやノイズは増えるのに反して、スピーカのひずみは減少しますので、スピーカの完勝です。また、ひずみの質はホーン・スピーカの方が良いので(高次ひずみが少ない)、絶対量が同じではアンプの負けです。事実こういうスピーカを聴くと、ひずみのほとんどはカートリッジ、アンプで発生していることがわかります。

時間の窓で切り取ってみると位相差が問題になる

音派か音楽派か

音楽再生への取組み方については、従来2つの大きな流れがあったようです。1つは物理特性。測定データを主に進むもので、もう1つは音楽性。聴感を主に進むものです。

前者はレコードに録音された信号をできるだけ忠実に再生する、色付けを避けるということでしょう。日本のメーカー製品はだいたいこちら側です。f特を重視すれば、コーン型やドーム、平板型ユニットを使った3〜4ウェイが主になってしまいます。これらのデータはなかなか良いのですが、もう1つ素晴しい音楽にはならないようです。忠実度を求める考えは正しいのですが、音楽を再生するには忠実度がまだまだ不足です。音派とも呼べそうです。

後者は録音信号そのものにはあまりこだわらない派でしょう。物理的忠実性より音楽そのもの、情感的忠実性を優先します。f特ひずみにはこだわらないので、個性的ないろいろな方式があります。室内残響付加音を含めて意識的、または無意識的に色付けをうまくしています。レコード信号の欠点まで補ってやろうとすることもあります。海外製品はこちら側が多いようです。f特、ひずみ特性はそれほど良くないのに、なかなか良い音楽を聴かせます。前者に対して音楽派と呼べるでしょう。忠実度が不足するので、ほんとうの音楽再生には不満が残ります。

第14図
第14図 忠実度再生の考え方

新しいアプローチでは音楽そのものを忠実に再生しようとします。楽器の音色、奏法、音像、音場、バランス等、音楽を構成する要素をすべて忠実に再生することにより、音楽そのものを再生しようとするのです。

ステレオ再生音楽はこんなものだ、と本物の音楽に対してハンディを与えることはしません。本物を再生すべきものとして聴き込み、ほんとうの音楽再生に必要なもの、欠けているものを探ります。何故そうなるかを考え、実証し、システムに具現して行きます。

従来の研究の多くは、システムの始点は信号発生器であり、終点はマイクに連なる測定器でした。新しいシステムの始点は音楽で、終点は人間の心です。本物と大きく異なる形態のオーディオ・システムで音楽を置き換えようとするのですから、たいへんです。研究も、音楽から人間の情報処理系、心理まで必要です。

正弦波に代えてインパルスが主役

従来の物理量は、正弦波を主にした周波数領域のものでした。すべての信号は正弦波の集合であるから、すべての正弦波を正しく再生すれば良いのだ、との考えです。

測定は簡単で良いのですが、音楽信号のような過渡現象の吟味には役不足だったようです。新しいアプローチでは時間領域での考察吟味が主になりますので、正弦波に代ってインパルス波が有用です。すべての信号をインパルスの集合と考えます(第15図)。インパルスを正しく再生できれば、過波的な現象を含むすべての信号が正しく再生できます。周波数領域だけで考えていると、大きな誤りをしてしまいます。

第15図
第15図 正弦波の集合とインパルスの集合

リスニングルームでスピーカからピンク・ノイズを出し、無指向性マイクでこれを受け、フラットになるようにグラフィック・イコライザで調整している人があります。周波数領域派の極端な例です。

良くわかっている人は別ですが、そうでなければ変なことになります。時間的に先に出て室内に残っている音といま出たばかりの音をゴチャまぜにしてイコライズしているわけで、時間を無視した考えの例です。前方の音と後方の音もいっしょになってますので、方向も無視しています。これは極端な例ですが、これに類することは周波数領域の考えの中では常にあります。以下はその例です。

位相と時間に関するひずみ

ヘルムホルツが「楽音の音色はその成分音の振幅によって決まり、その成分間の位相には関係しない」と述べて以来、位相は音色に関係しないと考えられて来ました。

第16図
第16図 位相関係が逆転した信号

事実第16図のような極端な信号でも差がないという研究もあります。追試してみますと、わずかな差が認められましたが、これは位相差を検出しているのではなく、波形の違いで生じる耳や再生装置の非直線ひずみを聴き分けているのかも知れません。このようなことから、従来の忠実度再生においては位相ひずみはほとんど不問にされていたのですが、音楽再生を考えた時、これは大きな問題であることがわかりました。

f特フラットでも音は変る

第17図
第17図 実験に使った位相シフタとその特性

第17図の位相シフタを作りました。振幅特性(通称f特)は変らず、位相特性だけが180度連続変移します。これを通して種々の音を聴いてみました。正弦波では当然のこととしてまったく差はありません。複合波でも第18図のような単純なものはほとんど差はありませんが、過渡的な音では大きな差があります。インパルスはもちろんですが、単純な1波のトーンバースト波でもよくわかります。一般的なスピーカ・システムではもともと位相ひずみがありますので、このような実験をしても差はないとの結論になるでしょう。

第18図
第18図 位相シフトしたバースト波の波形とf特

第18図に示すように、位相シフトした信号をフーリエ分析しても、その成分とまったく差がないことがわかります。それなのに、どうして音が異なって聴こえるのでしょうか?

第19図
第19図 位相シフトした信号の時間的観測
新しい方法で観測してみると、かなり違った様相が現れる

時間にその秘密があります。第19図を見てください。上の図は第18図と同じく全時間的に観たもので、周波数成分には0.1dBの差もありません。しかし、短い時間の間にも音色が時間とともに変化していると考えられますので、時間窓を作りそれぞれの時間における周波数成分を見てみますと、平均して数dB、大きい時で20dBもの差があるので、誰でもわかるほどの音の差であることがうなづけます。

第20図
第20図 位相シフタを通したときの音の聴こえ方

実際の音は第20図のように聴こえましたが、この結果と合います。この分析によれば、時間的に高い音が先に低い音が後に聴こえていることになります。

第21図
第21図 従来のSPシステムを通した音の時間的観測

第21図はf特が良いといわれる代表的なシステムですが、位相ひずみのため、第20図と同じ現象が見られます。こうして見ると、2つのスピーカ・システムのf特がほとんど同じなのに大きく違ったように聴こえる原因もわかります。このように、短い時間に限った音色は瞬時音色と呼べば良いかと思います。

自然な音と上等な音楽

前例のごとく、シフタを通して音楽を聴くと、高い音と低い音が強調されて不自然に聴こえます。グラフィック・イコライザで補正しても、これは直りません。たとえば、女性ボーカルを聴けばサ行が強調され、女性的でない低音も響きます。これらは再生音の特徴そのものではないでしょうか?また、高い音が先に聴こえて低音が遅れると、音楽はすべて安物になってしまいます。上等な演奏や楽器は音の立上がりに低音成分を伴っているのですが、これが遅れると、安物と同じになります。

たとえば、一流の声楽家の声は、和洋を問わず横隔膜を使って発声するので、ウッというような低音を伴ったしっかりした音で立上がります。素人はのどと肺で空気をしぼり出すので、高音の先行する不安定な立上がりとなります。木管や金管も、一流演奏者は横隔膜とタンギングで上等な音を出します。弦楽器でも弓が弦に吸いついて十分力の加わったところからパッと動き出すので、頭に低音がしっかりと付いています。奏者が下手な場合や弓が安物の場合は貼りつきが少ないので、このような音は望めません。

一般的に楽器も安物は高い音がきつく、低い音が伴わず、あってもドロドロと尾を引くようです。位相ひずみがあると周波数成分に時間差を生じ、瞬時音色が異なるため、ほんとうの音が望めないばかりか、上等の音楽を聴くことはできません。時間遅れ(グループ・ディレー。群遅延特性)は位相の傾斜に比例しますので、位相傾斜が緩やかか、一定でなければなりません。

12dB/oct逆相接続がよい

マルチウェイの場合は、分割フィルタでこの現象が生じます。

第22図
第22図 2つのフィルタの特性とインパルス応答

第22図に分割方式の特性を示します。18dB/octでは合成特性の位相傾斜が大きいので、電気合成したものをヘッドフォンで聴いても音は連がりません。実際のスピーカで空間合成した場合は、ユニット間位相差が常に90度あることも加わって、一層つながりが悪くなります。6dB/octは合成位相は平坦ですが、ユニット間位相差は常に45度あるので実際のつながりはかならずしも良くありませんし、帯域外減衰特性が悪いので高級システムには実用できません。帯域外減衰特性、ユニット間位相差、合成位相特性よりみて、12dB/octが最良となります。

この考えかたからすると、周波数特性を広帯域に平坦にするため多くのスピーカ・ユニットを用いてマルチウェイにする方法は、f特がきれいにつながっても時間的に正しくつなげないので、音楽の忠実再生には適しません。また、電気信号で計算上はできても、空間で短い寸法の波を合成することはできません。以上を考えると、長い波長で1カ所だけつないだ2wayが最も良いのではないか、との結論になります。

カマボコ型周波数特性と台形周波数特性

振幅特性だけではなく時間、位相まで考え、合成特性の音のつながりを考えれば、18dB/octより12dB/octの方が優れているということになりました。ディバイディング用フィルタに限らず、一般的にフィルタの振幅特性の良さと過波特性の良さは一致しません。振幅だけを考えて、ギリギリまで平坦度を稼ぎ、先を急峻に落とすフィルタは、他の目的には良くても、音声帯域内に使うのは好ましくありません。減衰の傾斜は緩やかな方が位相回転軸が少なく、群遅延特性が良いのですが、同じ傾斜では肩のなだらかな方が時間位相特性は良くなります。

第23図
第23図 台形f特とインパルス応答の関係

第23図は24dB/octのフィルタで、振幅特性を最平垣にしたものと、群遅延特性を最平垣にしたものをインパルス応答について比較したものです。種々の音楽で聴き比べると、群遅延平坦のカマボコ型の方が自然で、音楽的忠実度が高いと思われます。低域の平垣部を稼ごうとして肩のはり過ぎたスピーカ・システムの低音が良くないのは、過渡的な信号を扱うシステムであることを考えれば当然の評価です。

全域抵抗制御をねらった新しいウーファーの提案

磁力は強いほどよい

低域については、スーパーウーファSL-1を開発した時、ずいぷん勉強しました。発売して2つの実感を得ました。

1つは日本人(東洋人)は低音への関心が低い、ということです。音楽でも高音の旋律部だけを聴いて、通奏低音など低音部はちゃんと聴いていないようです。良いものを聴けば、その必要性やすばらしさは理解できるのですが、みずから求めるほどではないようです。

第二は、スーパーウーファを生かすことができる、良い低音特性のシステムが少いことです。もともと良い低音特性のシステムにスーパーウーファをつないだ時、素晴しい効果かあるのですが、たいていは超低音が出るというだけの効果で満足されているようです。

いま超高忠実度音楽再生という目で従来のウーファ・システムを眺めますと、過渡特性に特に不満があります。比較的過渡特性の良い密閉箱方式について考えてみます。システムの低域特性はQによって決まるのですが、従来はf特の平坦性から0.7〜0.9くらいが推奨されて来ました(第24図)。

第24図
第24図 ウーファのQとf特
第25図
第25図 Qと過渡特性の従来の説明

また第25図の説明図があって、Q=0.5が臨界制動で、Qがそれより大きいと振動的になるが、f特と振動のおさまりから見て、やはりQは0.7〜0.9が良いとされていました。この値より磁力を強くすると、Qが下がり過ぎて過制動になり、動きが悪くなると説明されていたのです。従来のシステムはこのように設計されていたのですが、ここに問題があります。

まず、磁力が強くなるといけない、というのが直感的に気に入りません。また第25図には、コーン紙の動き=音圧という誤解もあるようです(6月号第10図参照)。運動の微分方程式を解いて、変位、速度、加速度を求めると、第26図になります。変位のおさまりは0.7くらいが良いようですが、音圧に相当する加速度や速度はそうでないことがわかります。Qが小さいほど過渡特性は良さそうです。

第26図
第26図 ウーファのQと過渡特性に対する正しい考え方

Qが小さいと、付近の音圧が低下しますが、これは別に補償してやれば良いことです。もっとも、Qが大きくて音圧が高いといっても、これは持続音についてだけいえることで、短い音については立上りが悪いため、かえって小さく聴こえるはずです。

新しいウーファ方式の提案

新しい方式の考え方を第27図に例示しておきます。磁石を強力にすると、過渡特性が良くなるばかりではなく、従来の物理量であるひずみも減ることになります(第28図)。

第27図
第27図 ウーファに関する新しい考え方の原理
第28図
第28図 電磁制動抵抗R0を十分大きくすればひずみは小さく過渡特性は良くなる

新しい方式の考え方を第27図に例示しておきます。磁石を強力にすると、過渡特性が良くなるばかりではなく、従来の物理量であるひずみも減ることになります(第28図)。ひずみの多くはサスペンションの非直線性によって発生します。磁石を強力にして、全インピーダンス中にサスペンションのインピーダンスが占める割合を相対的に低下させてやれば、サスペンションひずみの占める割合も低下し、ひずみ全体が減ることになります。

別のいい方をすれば、ダンパーやエッジが少々つっぱろうが、強力磁力による駆動力と制動力で信号どおりに動かせる、というわけです。試作のためのシミュレーション例を第29図右側に示します(第29図左側は従来方式)。

第29図
第29図 左側 従来の考えかたによるQ=0.7のウーファ諸特性
右側 Q=0.3のウーファ諾特性抵抗制御領域の広さに注目!

電磁制動によりインピーダンスが大きいので、仮にf0において支持部が10%ひずむとしても、結果は1%ひずみにしかならないことがわかります。第29図の従来方式では3%となります。

また新方式では、従来直接放射型では存在しなかった抵抗制御領域が、4オクターブもの広い範囲で存在することもわかります。改善著しい位相特性や群遅延特性等から、このシステムが従来システムと次元の違う音を再生すると予想できます。試作システムでは第29図右側の慣性制御領域にショート・ホーンの負荷をかけて抵抗制御に変え、結局ウーファ全帯域を抵抗制御にしてしまいました。試聴しますと、やはり今までと次元の異なる低音です。

低音楽器の音がすべて本物になります。コントラバス、チェロ、バスドラの音等、今まで良く似て同じように聴こえたのが、はっきりそれぞれの音になります。コントラバスのひと弓ひと弓の音の違いがよくわかります。もっと客観的には、コントラバスのスピカート等で、音がハーモニカ的につながってしまっていたのが、ダダダダと分れて聴けます。前号で述べたように、音楽が上等になるのはもちろんのことです。

第30図
第30図 低音の遅れ感と群遅延特性

低音域の遅れ感に注目して試聴し、聴感どおりに従来のシステムを並べてみました(第30図)。感じとしては等間隔ですが、試作システムだけは特別でまったく遅れ感はありません。それぞれのインパルス応答から群遅延特性を求めてみますと、聴感とピッタリ合致します。

板振動によるリバーブ(残響)ひずみ

従来とは桁違いに過渡特性の良いユニットや方式が採用されると、次は箱やホーン材料の振動が問題となります。振動は周波数領域のひずみにはなりませんが、時間領域ではひずみとなり、音楽を害します。

第31図
第31図 パネルの振動と防振の効果

第31図のように尾を引きますので、リバーブひずみと呼びたいと思います。リバーブひずみは、多い時にはf特に少し現われますが、高調波ひずみとしては検出されず、従来の正弦波測定ではわからないひずみです。

部屋の残響もこれとよく似てますが、これはもとの信号との時間差が大きいことと、主信号と異った方向から来ること等から、はっきりと残響として聴き分けていますので、こちらは従来どおり残響と呼べば良いと思います。システムの中で生じ主信号と区別のつき難いものを、ひずみとして扱いたいと思います。リバーブひずみは、6月号で定義したマルチパス・ゴーストひずみと同様に音楽を害します。音の分離が悪くなる、音色差がなくなり混変調ひずみ的に音が濁る、音像定位を悪化させる、等です。従来のシステムにおいては、かならずしも不快なものではなかったので問題にはしなかったし、かえって下手なカラオケがエコーを必要とするように、適当に活用していたともいえます。

リバーブひずみをなくすには

防振

最も大きなリバーブひずみは箱で発生します。従来は補強をしたり、材科や形を調整して、聴感的にまとめていたようです。結果として直接スピーカから出る音に対して箱からの音は、一般に、-15dB〜25dBくらいになっていました。リバーブひずみ5〜20%ということになりますが、信号が消えた部分に存在するひずみですので、聴感的にはもっと大きな値に相当します。補強をしますと、こちらを押さえ込めばあちらが上がる、エネルギーを吸収しませんので、シーソー・ゲームです。振動の調整はできても、なくすことはできません。

第32図
第32図 箱の板振動。板厚が1.5倍になりfパターンも1.5倍高い方へずれる

第32図は板厚を変えた例です。fパターンをシフトして調整することはできますが、これも根本対策にはなりません。超高忠実度音楽再生のためには、リバーブひずみにおいても従来とは桁違いの要求がされます。従来の方法ではなく、振動エネルギーを吸収する方法を考えねばなりません。第31図を見てください。

ABCが従来の状態でCはその極限でしょう。よほどのマニアでないとCまではできないと思います。振動エネルギーを吸収することを考えて、新しく開発したダンピング材を貼ったものがDです。レベル、時間差ともに大幅な改善ですが、まだ不満です。ダンピング材に鉄板等の拘束材を加えたのがEです。これなら完全です。これは鉄橋の梁等を防振する方法からヒントを得ました。A〜Cの従来データに比して桁違いの改善です。

第33図
第33図 累積スペクトルによるホーン材の吟味

ホーンも同じ方法で防振します。第33図は改善されたホーンの例です。全時間的f特(t=0)が同じでも、過渡音が異なることは、もうご説明するまでもなく理解いただけると思います。

累積スペクトラムは、信号を頭から順々に切り捨て残った部分の周波数スペクトラムを3次元に並べたものです。したがってt=0のf特は全時間的f特であって、t=0の時の瞬時f特ではありません。すなわちt=0の時にはまだ発生していなかった成分も、t=0のカーブに表示されます。t=0にその音が存在していたように誤解しがちですのでご注意ください(第34図)。

第34図
第34図 時間解析の違いでデータの現れ方はかなり違う

ボックス内の吸音

スピーカ・ボックス内の吸音も、従来程度では不満になります。箱内に生じる定在波のモードと周波数を計算すると、実測値とよく合致します(第35図)。有害な成分とそのモードがわかれば吸音材で消すことができます。

第35図
第35図 箱内部の空気の振動モードと吸音効果

従来、吸音材は箱の内部の壁に貼り付けていましたが、これでは十分の吸音効果は望めません。1枚の吸音マットを箱の壁に貼った場合と、中央部に置いた時の吸音効果を比較しますと(第35図)、壁に貼ったのはほとんど利いていませんが、中段に置いたものはその位置が節となるモードに強力に有効です。壁は音圧は高いが、空気は動きませんので、ここに吸音材を置いても無意味です。

音圧の節の位置では音圧はないのですが、空気は激しく流れていますので、吸音材は有効に作用します。定在波の節、すなわち音のいちばん小さな所に吸音材を置く、反常識的ですが合理的です。箱いっぱいに吸音材を詰めるのがベストなのは、いうまでもありません。また、定在波を防ぐ有効な方法として、リスニングルーム同様、壁を斜めにする方法も採用すべきでしょう。

新しいシステムの成果

このような時間領域について検討されたシステムの例を、第36図に示します。

第36図
第36図 リバーブひずみの違い

このようなシステムで音楽を聴いてみると従来のシステムがいかに忠実度不足であったか、ということが痛感されます。マルチパス・ゴースト、リバーブ等もろもろのモヤモヤひずみが消えると、今まで埋もれていた音楽がくっきりと浮かび出ます。

再生においては、従来常にスピーカ・システムがネックとされておりましたが、こうなると違います。カートリッジを替えればそのカートリッジの音がそのまま、アンプを替えればそのアンプの音がそのまま聴こえます。デジタルとアナログの差もよくわかりますし、コンパクト・ディスクもまだまだ“理想の”とか“夢の”とは呼べないものであることもわかります。今まで見えなかったソースの欠点もよく見えるようになりますが、同じ理由で、こんな素晴しい音楽がディスクに入っていたのか、とオーディオの限界について考えを改めます。

ステレオ再生における空間ひずみとは

ステレオ再生では空間ひずみも重要

従来の物理特性を頼りにつくられた、音楽に弱い物理特性スピーカ、反対に、物理特性に頼らず耳でつくられた音楽的スピーカ、どちらをも不満とし、ほんとうの音楽再生を目指して音楽を聴くことから始めて、音楽再生の必要条件、オーディオ理論と技術の見直しへと進んで来ました。従来とはずいぶん異なったコースをたどってしまったようですが、これが本来通るべきコースだったのだ、と思えます。正弦波によるf特、ひずみは間違った道とはいえませんが、音楽再生の必要条件ではあっても、十分条件ではなかったのです。f特、ひずみも究極の理想特性、すなわち、振幅・位相完全フラット、高調波ひずみゼロなら、時間領域特性も理想になります。

辿る道は異っても、至る頂上は同じ、ということです。だが、理想に至ることはありません。もう十分と思っていたことや、何の問題もないとされていたものが、後にそうでなかったということは、オーディオの歴史において枚挙にいとまありません。われわれは常にオーディオの求道者です。どの道にいるか、どの道を進むかは重要な問題です。ステレオ再生を条件に、音楽再生の害となるひずみを従来の物理特性を含めて整理しました(第37図)。

第37図
第37図 ステレオ再生でのひずみ(主としてスピーカーシステムについて)

他の分類もありますし、知られているひずみで挙げてないものも多くあります。重複類似のものや、原因結果関係のものもあって、すっきりしたものではありませんが、考えの大要を示すためまとめました。周波数ひずみと振幅ひずみはよく研究されており、オーディオ誌でも常に見ます。十分わかっていると思われているたけに、反面誤った決めつけもあり、害となっている例も多くあります。

時間ひずみと空間ひずみについては、あまり研究を見受けませんが、音楽再生にとっては重要項目です。前回まで時間ひずみについて新しい考えを示し、リバーブひずみ、マルチパスひずみ、瞬時音色等の提案をしました。空間ひずみについては、オーディオ誌にも、定位が良い・悪いの試聴評価以外にはほとんど記事を見かけません。音楽にとって高度な表現のための重要項目と思いますので、今回これについて吟味したいと思います。

定位にはレベル差と時間差が競合

従来のステレオにおける定位とは、そのほとんどが左右スピーカ出力音圧レベル差で生じる方向定位をいっています。再生システムにはこの原理に従ってバランス・コントロールがありますし、録音用調整卓ではモノラルで録った信号を左右チャンネルに配分して方向定位を決めるための、パンポットが主役的位置を占めています。

このように、レベル差だけでも方向定位はするのですが(第38図B)、それだけでは不満です。従来のシステムは時間領域でそれほど忠実ではなかったので、それでも良かったのですが、試作機のように忠実度が向上すると、位相・時間を含んで定位を考えねばなりません。

第38図
第38図 ステレオ方式録音・再生の代表的なモデル

インパルスを試作スピーカの左右から同時に再生します。2等辺三角形の頂点で聴くと、インパルスは左右の耳に同時に到達するので、音は中央に位置します。遅延装置で右のインパルスを遅らせると。音は左のスピーカへ寄ります。先に到達した方から音が来たように聴こえます。

次に、時間差なしでレベル差だけをつけてみます。2dB、3dBとレベル差をつけても音は中央から聴こえます。普通だとはっきり音が移動する値ですが、インパルスは左右の耳に同時に到達するので、中央から聴こえるのです。5dB、6dBと差をつけて行くと、あるレベルから音は片方へ行ってしまいます。片方の音しか聴こえなくなったからです。時間差が支配し、レベル差は関係しないようです。

音楽やアナウンスのような過渡的信号ではどうでしょうか。これはレベル差でも左右に動きます。時間差でも動きます。時間差で動かした方が音像ははっきりしているようです。

レベル差と時間差は競合します。右を遅らすとして、600μSほどの差で音像はほぼ左のスピーカへ寄ります。ここで右のスピーカ・レベルを上げると5dBほどでもとの中央に戻ります。時間情報とレベル情報が相反する位置を示す結果の中央定位ですので、定位の質は良くありません。ということは、反対に、両情報が一致した時、質の良い定位をすることを示唆します。ステレオ再生では、女声や6.3kHzのバンド・ノイズで中央定位が悪いという研究発表がありますが、このスピーカでは良い質で定位します。

過渡音による定位実験も、時間的忠実度の低い従来システムで行うと、レベル差定位が支配的になるようです。連続音ではレベル差が支配的になります。レベル差や時間差だけでは原理的に方向しか決まらないのですが、レコードを良いシステムで聴くと、奥行や音像的なものを感じます。遠近を感じるのは第39図のように種々の説があります。いずれにしても高度微妙な情報ですので、忠実度が高くないと再現できません。

第39図
第39図 遠近感と物理特性

時間領域で考えると、第40図のような原理で音場・音像を再生できるように思います。音源定位の従来の研究が方向情報を頭部伝達函数の周波数領域で考えていたのに対して、東京大学の平中氏等は耳介系応答の時間領域で考えておられます。上下、左右、前後等の定位に成功されていますが、的を得たものと思います。

第40図
第40図 収録の様子と遠近のシミュレーション

試作機のホーンの中に小さな障害物を置いて波面を乱すと、マルチパス・ゴーストひずみで、従来システムの音に近づきます。音の忠実度が低下すると同時に、定位が悪くなります。方向よりも遠近、拡がり、音像のリアルさ、大きさ等が損なわれることから、この考えの正しいことが推測できます。

指向性をどう考えるか

指向性についても、どうあるべきか決まります。従来は指向性が広いことを「良い」といって来ましたが、広いと良いとは違います。劇場用、PA用はその性質上広い方が良いのは明らかですが、これをそのままリスニング・ルームに適用するのは誤りです。

第41図
第41図 必要条件としての指向性

第41図を見てください。時間情報も加わった素晴らしい音像定位を求めるなら、中心線上からあまり離れるわけにはいきません。レベルなら中心からはずれてもバランス・コントロールで補正できますが、時間は補正できません。15度までは厳密な忠実度が要求されます。30度を保証すれば十分でしょう。それ以上は害にならないよう処理したのが「良い」指向性です。60度以上の成分は側壁で時間差の少ない強い1次反射音を生じるので有害です。演奏会場での同じ反射音は有益ですが、演奏会場と再生音場では使命・原理が異なるので、混同してはいけません。この混同は、スピーカを含む音響機材にも室内音響についてもいえることで、心すべきことです。

第42図
第42図A(左側) 試作ホーンの指向特性とインパルス応答
B(右側) 外国産ホーン(レンズ付き)の指向性とインパルス応答

第42図Aの試作機では周波数領域、時間領域とも、必要な角度においてまったく等しい信号が得られています。微少な音色とリアルな音像を瞬時瞬時空間に再生するため必要な条件です。ホーン内のマルチパスひずみやリバーブひずみを取り除き、壁面設計で放射角をコントロールし、コヒーレントな波を得ています。

S/Nと聴感

良いシステムは音像定位に優れていて、また音像定位に優れているのでほんとうの音が再生できる、ともいえます。それぞれの成分が本来の空間に集まり、色ずれがないので、ほんとうの音色が再現できるのです。8月号の位相と時間ひずみの項で、成分の割合が正しくとも、時間を無視して配分すれば、どの時間においても正しい音が再生されないことを強調しました。同じことが空間についていえます。

隣接する2つの楽器の音が混じってしまうと、よく似た音になり、本物の音楽に比べて色数が少なくなってしまいます。人間には多勢が同時にしゃべっている中から、1人の話を聴き取れます。カクテルパーティ効果と呼ばれます。優れたパターン認識能力でS/N 0dBの聴き分けをしているのでしょう。時間的、空間的に成分を正しく合成すれば、この能力はもっと向上します。

測定と聴感の差を示す実験の1例を示しましょう。

第43図
第43図 SN比0dBの音の諸特性。この状態でも音楽の内容ははっきりわかる

ピンク・ノイズと1kHzの正弦波でS/N 0dBの音を作ります(第43図A)。聴くとはっきり1kHzがわかります。短時間20mSのf特はBです。長時間f特はCになります。ノイズは平均化されるので、Bよりよくわかります。全成分では0dBでも、信号成分の付近をみれば10dB近いS/Nがとれているのでよくわかるのかも知れません。また、付近の成分と信号は性質が異なるので、自己相関をとれぼDに示すように、信号はさらに明らかになります。人間の聴覚にはこのような機能があると思います。

第44図
第44図 可聴限界と思われるときの状態。音楽はジャンルの判別がつく程度

次に、1kHzのレベルを聴こえなくなるまで下げてみます(第44図A)。-20dBくらいまではわかります。音楽ではジャンルの区別がつく程度です。ノイズをステレオにして空間的に散らし(現実のノイズは全要素がランダムなのでそうなる)、信号をモノラルにしてパンポットで任意の位置に定位させると、さらに数dB以上よくわかるようになります。

忠実度の低いシステムではこうはなりませんが、周波数、振幅、時間、空間のすべてにおいて忠実度の高いシステムでは、定義による測定値S/N=0dBのさらに20〜30dB下まで使えることになります。新しいアプローチのシステムで、ダイナミック・レンジが良く聴こえる理由です。微妙な音色、音像再生のできる理由でもあり、時空間忠実度再生の必要な理由です。

空間音色の問題とは別に、音像定位そのものも魅力てす。オペラの舞台や人物の動きがリアルに再現されたり、コーラス一人ひとりと声の表情がはっきりしたり、オーケストラの弦の数、一つ一つの音色、そして演奏がわかるのを聴けば、音像の忠実再生が音楽再生の必要条件であることを痛感させられます。

S/Nについて加えておきます。ノイズ・レベル以下に信号のないデジタル方式と、ノイズ・レベル以下の信号成分が有効なアナログ方式ではS/Nについて同一の論議はできません。また同じ理由により、評価に用いる機器の質・レベルにより評価が異なります。データ上のダイナミック・レンジと聴感上のある種のそれを上げるだけなら、ノイズ・ゲートでもよいわけです。この場合、聴感上のもう1つのダイナミック・レンジは低下します。データが何を意味するか、聴感ではどうなるか、常に考えていただきたいと思い、蛇足を加えました。

注)ノイズ・ゲート
マルチモノ録音で他の楽器の音の廻り込みを防ぐため、一定レベル以下の信号を切り捨てる装置。

試聴について

この研究は音楽と音を聴くことから始まっています。測定や理論から始めると、事を誤る恐れがあります。理論や物理特性については、まだまだわからないことが多いからです。耳や音楽は、昔から確かなものとしてあります。自分の耳と聴きたい音楽をスタートにオーディオをやっていただきたいと思います。

試聴は学会や研究所、オーディオ・ジャーナリズムやマニアが行っていますが、理論や測定データ同様、気になることが多くあります。紙数がないので最後にちょっとだけ書いておきます。

  1. 試聴の目的と試聴の条件を十分吟味する必要があります。定位の悪いシステムで定位に関するデータを得ようとしたり、ひずみの良くないシステムでひずみの検知限を得ようとする等、ナンセンスです。学会の定説となっているデータにも、実験年代が古かったり、機材の質が低かったりで、再検討を要するものがあります。超高忠実なシステムで追試をすれば、異なるデータ、結論となりそうなものが多くあります。
  2. 多くのパネラーを集めて試聴し、一対比較法で結論を出す方法がオーソライズされていますが、あまり有効でないものまで安易に使われているように思います。高度な音の評価は、他の感能検査のように、ほんとうの専門家がやるべきだと思います。香水、ワイン等では素人ではできない高度な評価を正確に専門家がしています。
  3. 限界値などのデータは、統計のどのような値かチェックして使うべきです。普通人の平均値を超マニア用の機器の基本データに使う等の誤用は常にあることです。
  4. 音の評価語としてオーソライズされたものがありますが、もっと具体的、客観的な表現をしてほしいと思います。ドラムの何がどうか、弦のどの部分が…等です。漠然とした表現では高度な音の様子の見当はつきません。
  5. オーディオ機器の良否の判断には、それが、質の差か、色付けの差かを常にチェックしておきたいと思います。忠実度が向上した場合は情報量が増します。すなわち、色数が増し、今まで区別できなかったものが区別できます。音像定位についても同様です。色付けの場合は、それが好ましく聴こえても、情報量は変らないか低下します。良いというのが、色付けとして好ましいのか、質的に良いのか、これで区別できます。最終的には質的向上を図らなければ、高いレベルの音楽再生はできないと思います。

最後に、私の言葉として言ったのでは権威がないので、黒木総一郎氏の著書「聴覚の心理学」よりC.J.LEBELの言葉を引用させていただきます。

IF IT MEASURES GOOD, AND SOUND BAD, IT IS BAD.(測定して良くても、聴いて悪ければ、その音は悪いのだ。)

自分の耳を信じて、良い音楽を求めてオーディオ道を進んでください。


初稿
平成25年2月5日
最終更新
平成25年2月9日
転載元
高忠実度再生への新しいアプローチ(1):技術と理論— TIMEDOMAIN (心のオーディオ 〜自然な音のスピーカー )
高忠実度再生への新しいアプローチ(2):技術と理論— TIMEDOMAIN (心のオーディオ 〜自然な音のスピーカー )
高忠実度再生への新しいアプローチ(3):技術と理論— TIMEDOMAIN (心のオーディオ 〜自然な音のスピーカー )
高忠実度再生への新しいアプローチ(4):技術と理論— TIMEDOMAIN (心のオーディオ 〜自然な音のスピーカー )
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